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東川のブログ
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愛。


個人的なこの文字のイメージは、「可愛らしい」イメージです。

自分の中の「愛」と言うもののイメージが「可愛らしい」わけじゃないのですが。




私が人を愛するとき、そこに性別の垣根などないと言いたいところですが、
それだと酷く矛盾してしまう気がして。


自分が相手の中で「女性」でないのであれば、「異性」の方とも恋愛出来るのですが、
自分が相手の中で「女性」なのであれば、例え「同姓」の方でも難しいのです。


絶対数的に、「女性」から「異性」として見られるよりも、
「男性」から「異性」として見られることのほうが多いわけで。


結果、私は「男性」との恋愛がとても難しいわけで。

自ら恋愛 を望むこともなければ、応えることも難しくて。


じゃあ、好んで「女性」を好きになるのか?と言われれば、それも違って。


「この人は、とても魅力的な方だ。」と思った際、
相手が自分を「異性」として判断していないケースは、「女性同士」のほうが多くて。
だから、「恋愛」まで踏み切ることが出来るわけです。


「同性愛」を正義として他人に押し付けるつもりなんて微塵もありません。

しかし、どこにも「正解」などないと思うのです。
と言うか、どこにでも「正解」があるんだと思います。
その場その場で、「正解」なんて違うんだと思っています。


私は、自らの人の愛し方を否定することもなければ肯定することもありません。


しかし、悩ん でいる人も多いかと思われます。




愛すると言うことは、「周りが決めること」じゃなくて「自分で決めること」だと思います。



自分の「愛」に従って、愛してください。

それが一方的にでも、両思いでも。


私の場合は、「性別」がネックだったりしましたが、愛を否定するのをやめました。


今は、自分の愛を大きく育てる努力をしたいと思っています。


いや、夏が終わったことで少しオセンチな私がいます。
秋の香りを吸い込んで、次の夏を想いながら、四季を抱きしめて過ごしたいと想います。
秋冬太りやすいので気をつけます。

またね!
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夏が鳴き始める頃は、毎年騒がしい文字を放ってた気がする。

ブログ、Twitter、mixi。

私は夏が大好きらしく、夏と言う季節の儚さに身も心も虜にされていることを自覚するタイミングが今年もまた増え始めています。

秋も冬も春も好きです。

それぞれの季節の持つ儚さを五感で掴んで一年を過ごすと思うのですが、夏に触れた際に私の中に駆け巡る感覚がまるで恋みたいで、ときめき。
ほんの少しの季節。

夕方の水の匂い。
朝の風の色合い。
お昼のお日様の匂い。
夜の湿度。
真夜中の異世界。

一日の時間をくぎってこんな風に特徴を書き連ねてしまうほどに、夏を感じる際の私は恋する乙女のような状態でただただ夏に身を委ね、夏を追いかけ、夏を掴みます。

帰省した際に家族と繰り返す、
「またね。」にも似たシーン。
オールドレンズが切り取る水色の世界。

そうやって、そっと手を離す夏が、また逢おうねって後ろ姿を見せてくから。

後ろから抱き締めたくなる。

羽交い締めにして、背中に顔を押し付けて。

夏の匂いをいっぱい吸い込んで、しがみついていたくなる。

今年も夏がゆっくり支度をし始めている。


行かないでって泣くのは、蝉に任せて、私は、自分を見つめる。

自分と夏が反射し合う景色に、時間が溶けて行く。


今年もありがとう。夏。
愛してる。夏。
大切。夏。



またね!
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プロフィール
HN:
東川遥
性別:
女性
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